性教育についてふと思ったこと
化粧パックをのんきにやってるように見えて
瞑想中。
昨日、スピーカーの友人と話しているうちに段々と自分の中で形になってきた
何かが。
わたしの過去を、ごちゃごちゃにしたのは大人のエゴだと
わたしはまだ大人と言えるかわからないが成人してから自分がエゴの塊だと。
1992年のエイズパニックから
日本の性教育が変わり、
議会では行き過ぎた性教育はいけないと
否定的になったり…
フェイスブックでのエッチな内容のアプリの、広告やらなんやらありますが
日本は、江戸からみても性娯楽が
あったのだから、結婚してからやりましょうが必ずしもただしいとは限らない。
向き合うことは、
人によっては関係ないかもしれない。
ただ、江戸みたいに
梅毒やらなんやらで死んでもいいから遊び通すなら
あっぱれですが
結局のところみなさん性病科にいくのですよ。
クラミジアとかで
性教育というのはとても、難しいジャンルでなかなかこうだよということは難しい
特に日本では
親しいともだちにさえいうことがないことだから。
誰とやったとか
は、ふざけて話すことはあるかもしれないけども。
と、比較されますが
日本の問題なのだから
まず日本のなかで変えれば良い
国レベルで教育とかを変えるのは
いわゆる国レベルのエゴ
エゴにもれべるがあり
大きすぎると反発は大きくなる
もしも、
性教育が大切だと思うならば
セミナーなど
小規模でまずやればいい
何故にセミナーブームがあったのかといえば
きっと、沢山ある中で
自分にあったものを選ぶことに
これまた、エゴ
を良いことだと考える人がいるからだろう。
キュレーターがトレンドらしいですが
性教育についても
性病に、たいする知識もまばらなもので
もっともっと集約しなければならないんだろうな。